いいオッサンが出てくる話が好きだ。
ガンダムシリーズには伝統的にいいオッサンが登場してくる。最近だとガンダムユニコーンに出てくるジンネマンが大のお気に入りである。ファーストガンダムにおいてもランバ・ラルといういいオッサンがきちんと登場している。
いいオッサンは大抵、多くの戦場を経験し生き抜いてきた人達である。彼らが発する言葉には、深みと重み、そして若者に対しての教訓が含まれている。そんなオッサン達が若者を導いていく様がかっこいいと思うのだ。
「シルバー事件」においても、クサビ テツゴロウといういいオッサンが登場する。私がシルバー事件に惹かれる一番の理由はそこにあるかもしれない。「シルバー事件」は3月の気になるソフトで取り上げたゲームである。
今回はそんないいオッサンが登場する「シルバー事件HDリマスター」を個人的に評価してみようと思う。
プレイ環境はPS4版ではなく、Steam版を購入してVAIO Tap21でプレイしたものである。
色あせないフィルムウィンドウ
私がオリジナル版の「シルバー事件」を遊んだのは、PSアーカイブで配信が始まってからだったと思う。作品が出た当時にリアルタイムで遊んではいない。そもそも、須田剛一というクリエイターを知ったのが「キラー7」が出てからなので、仕方のないことだったと思う。
「シルバー事件」の特徴のひとつがフィルムウィンドウと呼ばれる、独自のユーザーインターフェイスだ。画面上に複数のウィンドウでそれぞれ別の情報を出しながら、場所やキャラクター、テキストを巧みに表示することによって、静止画が多用されることの多いアドベンチャーゲームにおいて、常に何かが動いているという動的なユーザーインターフェイスとなっている。
私がオリジナル版を遊んだのはPS Vitaが出たあとだったと思う。私の中でPS Vitaは、PSゲームアーカイブスを携帯するハードになっていた。PSゲームアーカイブスを物色する中で、そういえば遊んでなかったなぁと見つけたのが「シルバー事件」だった。
もう2世代もハードが進化してしまった中で、初めてプレイしたオリジナル版「シルバー事件」のフィルムウィンドウはそれほど良い印象でもなかった。ゴチャゴチャした印象と、2世代前のポリゴン表示されるグラフィックは、古さを感じてしまうものだった。リアルタイムで遊んでいれば、印象も変わっていたと思う。
HDリマスターされた本作において、フィルムウィンドウは洗練されその価値を大きく向上させている。
オリジナル版が発売されたのは1999年で、PS2が発売される前の年だ。初代PSの末期で開発技術もこなれていたとはいえ、ゲームが3D化された初期のハードである。そんなローポリゴンのグラフィックを、あえて雰囲気を残したままでHD化することで独特の雰囲気を持つグラフィックに仕上げている。
初代PSを知っている人には懐かしさを与え、知らない世代には新しさを感じさせるような3D描写は、数あるHDリマスター作品の中でも成功の部類に入るのではないかと思う。
16:9のワイド表示に、静止画も解像度を増したことによりゴチャゴチャした印象だった画面表示もスッキリと洗練されたものに変わった印象を受ける。
ハードの進化、技術の進化によってフィルムウィンドウは完成の域に達したのではないかと私は思う。オリジナル版発売当初は、構想が前に進みすぎていたのかもしれない。時代が変わることによって、古いゲームが完成に至るというゲームの世界ではあまりない現象を「シルバー事件」は起こしている。
須田ゲーを紐解く
「シルバー事件」は須田さんが手がけた初のオリジナル作品である。
須田さんのゲームは個性が強く、ストーリーも独特の言い回しと断片的に語られる内容から難解であると評されることが多い。その強い独自性から、既存のジャンルとは別のジャンルとして「須田ゲー」と呼ばれている。
実際に、「シルバー事件」を主観を切り離して客観的にのみ評価するなら、10点満点中7点ないし6点と言った評価になるだろう。フィルムウィンドウという新しいインターフェイスの新しさは感じるが、ベースとなっているのは古き時代のアドベンチャーゲームで、操作方法に関しては古さを感じてしまう。語られるストーリーは電波のように難解で、万人向けではない。
しかし、それでも「シルバー事件」がカルト的ゲームと呼ばれるのは「須田ゲー」だからである。
意図的に盛り込まれる開発者の悪意
ゲームを開発するとしよう。作るからには手に取ってくれたユーザーが最後まで遊んでくれることを願い、道中でストレスを感じることなく快適に遊べるようにと理不尽さを極力排除しようとするのが当たり前の作り方だろう。
しかし、須田さんの作るゲームには明らかに理不尽と思われる要素が多く含まれている。
上の画像の様に、テキストが高速で流れて行く場面が何度かあるのだが、普通にプレイしているとまず気づくことがないようなところに平気でメッセージを仕込んでいたりする。
高速表示されるものを同じ単語の繰り返しだと、プレイヤーに錯覚させるミスリードをわざと誘う。かといって、そこに仕込んだものに気づいたところで重大な要素を仕込むわけでもない。そんな人を食ったような演出を、須田さんはゲームの中に組み込んでくる。
また、移動パートでも無駄に長い距離を歩かせたり、ヒントもない中でプレイヤーが途方に暮れるような場面を平気で使って来たりもする。
長い距離を歩かせるというのは、演出として間を作っているという解説が、電ファミニコゲーマーさんの記事で語られていたりもするので興味があったら読んでみて欲しい。
須田さんは何故、あえてユーザーにとって意地悪な要素を排除せずに、ゲームの中に入れてくるのだろうか?
似たようなゲームの作り方をする人を私は知っている。糸井重里さんだ。
「MOTHER」と「須田ゲー」の共通性
糸井重里さんと言えば、ゲーム業界では「MOTHER」の生みの親として知られている。
「MOTHER」も数あるRPGのなかでも異彩を放つ個性的なゲームとして、日本だけでなく世界中にファンを持つゲームである。
糸井さんも「MOTHER」の中で、悪意というべきか、いたずらごころを多く盛り込んでいる。その代表的なのが、「MOTHER2」におけるムーンサイドだろう。
グラフィックは暗転して、住人達の会話はおかしなものばかりで訪れた人皆が不気味で嫌な感じを受ける。ちょっとしたトラウマだという人も居る。
糸井さん自身が「こういうの嫌だよね?オレも嫌だと思うよ」と、プレイヤーに投げかけ反応を楽しむとともに、感情の共有を楽しんでいる様に思える。制作側でありながら、プレイヤーでもあり、感情の共有できるものとしてゲームを作っている気がするのだ。
糸井さんのそういった一面は、ほぼ日のどうぶつの森を遊んだ記事の中からうかがい知ることが出来る。
そのいたずらごころというか、感情の共有という意味で最たるものが「MOTHER3」だったと思う。
「奇妙で、おもしろい。そして、せつない。」をキャッチコピーにしたこのゲームは、糸井さんの悪意というか、いたずらごころが全面に押し出されたゲームだ。
せつないという感情を沸き立たせるという意味では、このゲーム以上のものを私は知らない。それほどまでに、愛情、嫌悪、不快、楽しさと、良い感情も悪い感情も迷うことなく放り込んでいるが故に、唯一無二の作品になっている。
糸井さんはゲームの中に、快適性や爽快感などのポジティブな要素だけではなく、普通なら排除していくネガティブな要素をふんだんに盛り込んだクリエイターだった。プレイヤーが面倒だと感じることであっても。
「ニーア」のヨコオタロウさんも、同じようなクリエイターだと言える。「ニーア」も理不尽、無駄といった要素をふんだんに盛り込んでいる。エンディングに代表されるように。
近年のゲーム製作は、ユーザーを快適にプレイさせる。最後まで遊べるようにというように、綺麗に丸く棘のない形にすることが良しとされてきた。クリアできない、不快感を感じることはクソゲーという古い時代の名残があったからかもしれない。
そうして棘が刺さることもないような綺麗な丸いゲームが増えた結果、印象に残らない消費されるだけのゲームが増えてしまったようなような気がする。
そんな中で、プレイヤーに理不尽さや不快感を与えることを恐れないゲームが光り輝くのは当然のことかもしれない。「須田ゲー」が独自性を放つと言われるのはそういうことだと私は思う。
交錯するストーリーに秘められたもの
ストーリーについても少し触れておきたい。犯罪は伝染するといったテーマを持ち、管理された社会のあり方を問う内容は重く、深い。
「Transmitter」編という刑事目線のストーリーと「Placebo」編というルポライター目線のストーリーが用意され、それぞれを読み進めストーリーの全容を把握していくという内容になっている。
ストーリーにおいても須田さんらしく、プレイヤーに全容を掴ませようとはしていない。時系列の把握の難しさ、間に挟まれるストーリーにはカムイ事件とは関連のない内容が入ってくるといった形だ。事件の解明編かと思われた「Placebo」編では、徐々に独自のストーリーを語り始める。掴みかけたと思えば、最後にまた真相が2転3転して、真実がどこにあるのか疑問符が付いたまま終わりを迎えることになる。
意図的なミスリードや、話をひっくり返す作りは「須田ゲー」ではよくある話だ。主題はあるが、結末は特に重要ではなく、ストーリー進行の過程を楽しむように作られているかのようでもある。プレイヤーに真相を掴まれることを嫌うように、プレイヤーにとっては雲を掴むかのように変容していく。
ならば、モリシマ トキオに代わりプレイヤーが事件を考察するのも良いだろう。そういうものだと受け入れるのもいいだろう。
そんな中にあっても、CASE#3パレードは素敵なストーリーだと思う。コダイスミオという人物に好感を持つ人も多いだろう。
それでも、私は「シルバー事件」においてクサビ テツゴロウがキーパーソンだと思っている。このいいオッサンが時にだらしなく、時に刑事の顔を見せ、時に大人の男として助言を行う様は登場人物、ストーリーを盛り立てていると感じるからだ。カムイ事件という謎だけではなく、登場人物の群像劇というストーリーも楽しんで欲しいと思う。
HDリマスター版には無料アップデートで、「シルバー事件25区」に繋がる追加シナリオが加わった。
「Transmitter」編に加えられた“ホワイトアウト”は、「シルバー事件25区」の前日譚に当たる内容だ。
「Placebo」編に加えられた“ヤミ”は「シルバー事件25区」というよりも、別の物語へ繋がる話となっている。須田作品を遊んできた人にはニヤリとする内容になっている。
まとめ
「シルバー事件HDリマスター」は時代を超えて完成に至った作品と言える。「須田ゲー」特有の理不尽さ、面倒くささを持ちつつも、現代の多くのゲームの中で光を放つ作品だと思う。
しかし、これは人を選ぶゲームだ。もしも購入を悩んでいる人がいて、多くのレビュー得点を眺めている人がいるならば、それはやめたほうがいい。
高得点が付いていようと、低い得点がついてようとそれらはどれも参考にはならない。「須田ゲー」において重要なのは、合うか?合わないか?だけである。波長が一致するなら大好きなゲームになるだろうし、合わなければクソゲーになるだけだ。
要するに、「殺るか、殺らないか」という選択肢しかない。
決めるのは、あなただ。
私から言えるのはこれだけだ。
個人的ゲーム採点
9/10