モニターなくしてビデオゲームは成立しない。
時代が進み、技術が進化した今でもその関係性は変わってはいない。ゲームの世界と、私達の世界を繋ぐのがモニターであり、私達の世界とゲームの世界を隔てる壁もモニターである。
VRによって、仮想現実の世界が身近になっていってもその関係性は変わることはないだろう。
「One Shot」はそんなプレイヤーとゲームの世界の関係性に変化をもたらした作品だ。そして、ゲームタイトルにあるように『1度きり』のゲーム体験が強く印象に残るインディーゲームである。
このゲームは、語ろうとするほどに、伝えようとするほどにネタバレを含んでしまうため、とても難しい。魅力を伝えきれないかもしれないし、うまく語ることができるかもしれない。
レビューという形を取ってはいるが、少しでもインディーゲームに触れるきっかけになって欲しいという思いがあるので、ネタバレを避けながら語っていこうと思う。
「One Shot」はPCゲームで、家庭用ゲーム機に移植などはされていない。なので、Steamで購入したものをいつものようにVAIO Tap21でプレイしている。
モニターの壁
ビデオゲームは、「いかにゲームの世界にプレイヤーを連れて行くか?」という1点が大きな意味を持っていると思う。
操作するキャラクターがまるで自分自身であるかのように、あたかもゲームの世界に迷い込んだかのように夢中になって遊ばせる工夫がビデオゲームにはある。映画のように観るだけでなく、プレイヤーが能動的に関わることで成立するビデオゲーム最大の強みだ。
アクションゲームであれば、自分の思うようにキャラクターを操作できることで、自分の分身の様に感じられる。思わず「痛ぇ!」と声を出したり、身体が動いてしまうのはモニターを越えてゲームに入り込んだ証拠だろう。
RPGやアドベンチャーゲームでは、主人公が言葉を発することをなくして、プレイヤー自身であるということを強調することが多々ある。これもゲームの世界にプレイヤーを違和感なく連れて行くための演出である。
名作「MOTHER2」では、ゲーム開始時に名前だけでなく『すきなこんだて』『かっこいいとおもうもの』など、さらにパーソナル要素を増やして主人公=プレイヤーの図式を強めている。
モニターを越えてゲームの世界に連れて行くための工夫がうまい作品ほど後に名作と呼ばれ、うまくいかなかった作品は駄作となっているように思える。
あえてモニターという壁を作る「One Shot」
「One Shot」ではプレイヤー=操作キャラクターではない。
操作するのはニコという名前のキャラクターで、プレイヤー自身はゲームの世界の外にいる存在であることがゲームの開始時に強調される。その演出もPCゲームならではの形で表現されており、今までのゲームになかった体験が出来る。
ゲームのプレイ経験が長ければ長いほどに、ゲーム内の登場人物に感情移入するクセが知らず知らずのうちに身についてしまっている。それがゲームを楽しむ上で最上の方法であることを経験で知っているからだ。
それだけに、この冒頭の演出には面食らう人が多いだろう。
プレイヤーがゲームの外側にいることを強調する演出は古くからあった。「バテンカイトス」ではラストでキャラクターがプレイヤーに向けて話しかけてくる。
「Steins;Gate」でも、冒頭部分でプレイヤーに話しかけてくる様な演出が盛り込まれている。
ゲームという虚構の世界から、現実へとプレイヤーを引き戻す演出はドキリとさせられるものであり、ゲームの世界にいかに引き込むかというお約束から外れているが故に演出としてはとても効果的になる。
虚構の中に現実を盛り込むという手法に初めて出会ったのは、庵野秀明監督の「THE END OF EVANGELION」だった。劇中に観客席が映し出されるようなカットが挿入された時はドキリとさせられた。
だが、それらはあくまで演出であり、「バテンカイトス」もそこに至るまではゲームの登場人物に感情移入してプレイすることになるし、「Steins;Gate」も結局オカリンとしてゲーム内を奔走することになる。
「One Shot」は最初から最後まで、プレイヤーはゲーム世界の外側に居ることを求められる。ニコはゲーム世界の外側にいるプレイヤーに語りかけ続けるし、ゲームを攻略するためのヒントもゲームの世界ではなく、プレイヤーのいる現実世界に用意される。
ゲームとプレイヤーの関係性が、「One Shot」では全く変わっている。そこがものすごく斬新で面白みを感じることができる。
世界を救うチャンスは1度きり
「One Shot」の世界は既に荒廃しており、ゲームの始まりの地ではロボットだけが存在し、そのロボットの多くも太陽を失ったことにより活動を停止してしまっている。
操作キャラクターであるニコは別の世界から気がつくとこの世界に飛ばされており、何故自分がここに居るのかもわからない状態だ。
世界を照らす太陽(電球)を手に入れたことから、世界を救うために太陽を塔に掲げるため冒険していくことになる。
個性的なキャラクター、印象的な世界ではあるがゲーム内容はものすごく古くさい。ゲームとプレイヤーの関係性に斬新な手法を用いてはいても、無駄に広い世界でお使いを繰り返すことになる。
敵が出現してバトルになることもないし、ゲームオーバーになるような要素はない。それが安心できると感じるか、だるいと感じるかは人それぞれだろう。多くのインディーゲームのように、ヒントがないために何をして良いのかわからなくなる場面も多い。
攻略法を探して検索するうちにネタバレに出くわしてしまう危険性が高いというのも、このゲームの魅力を損ないかねないマイナス要素だ。
救いとなるのはニコの愛くるしさ
そんなマイナス要素の中で、ゲームを進める動機になるのはニコのかわいらしさである。純粋無垢な存在として描かれるニコが、この世界における唯一の救いだ。まさに救世主と呼べる存在になっている。
時にニコはプレイヤーに向かって話しかけてくる。時には自分の見た夢を一生懸命に伝えようとしてくる。その姿は愛らしく、多くのプレイヤーがニコに好感を持つだろう。
それだけに、このゲームタイトルにある「One Shot」1度きりという言葉が心に刺さるものになる。
古くさいゲームシステムや、ヒントの少ないファミコン時代のような謎解きをクリアして、是非とも最後までたどり着いて欲しい。
まとめ
ネタバレを避けて「One Shot」について語れるのはこのくらいでしかない。
PCゲームならではの謎解き、プレイヤーとゲーム世界の関係性など他にはない魅力を持った作品だ。ゲーム内容の古く臭さを差し引いても、意欲的な作品であると言える。
最後に待ち受けるものは、「ニーア」シリーズをプレイしたことがある人には、さほど斬新に感じられないかもしれない。私も期待を超えるほどの驚きは感じられなかった。
それでも、コンシューマゲームにないものを求めて、Steamを始めたなら是非プレイして欲しいタイトルのひとつである。
個人的ゲーム採点
7.8/10
このゲーム、チャンスは1度きりという触れ込みで最大の魅力であるにもかかわらず、アップデートによって追加シナリオが配信されている。
終わりの先を見たいという欲求はあるが、私はあえて1度きりの冒険で終わらせている。終わりがあるのは美しい。「One Shot」は1度きりの冒険であるが故に輝きを放っていると自分の中で終れているからだ。
いつかニコにもう一度会いたいと思った時に、その先を見てみようと思っている。